著者自腹で出版すること。読んで字の通りだ。誤解の余地など無いと思うのだが、世の中うまくいかない。
私の「ブラームスの辞書」も自費出版だ。版組み、校正、印刷、製本の費用は全て著者である私が負担した。完成後の本の保管費用もある。その他経費も含め私が負担した。その代わり売れれば売上は全部私のものだ。
出版社が私の原稿に目をつけ、売れると判断すれば通常の出版ということになるが、ワールドカップで日本がブラジルに勝つよりかなり可能性が低い。出版社にすれば、売上の中から経費はもちろん利益もひねり出さねばならないから、そのあたりの見極めはシビアだ。著者が有名人でもなく、さしたる話題作でもないアイデアをどうしても本にするとなると、選択肢は自費出版しか残らないのだ。
もちろんブラームス自身の作品は本人の厳しい自己審査を経て全て通常出版された。自費出版は一つもない。ブラームス作品は出版社から見ればドル箱なのである。
ブラームスがハンブルク時代の恩師マルクゼンへの感謝の印にピアノ協奏曲第2番を献呈したことはよく知られている。1882年のことだ。実はその翌年マルクゼンの音楽家生活50周年を祝って粋なプレゼントをした。マルクゼンの「民謡による100の変奏曲」を自費出版したのだ。自作が印刷されたのを見てマルクゼンは大いに喜んだという。麗しい師弟愛だ。
ところが、このエピソードはガイリンガーの大著「ブラームス」と、音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻ホイベルガーの記述が食い違っている。自費出版の事実はあるようだが、前者はマルクセンの生前の出版としているのに対して後者は没後の出版としている。
私と違ってブラームスの経済力は大したものなのだ。当時の彼の影響度を考えると、出版社に圧力をかけてマルクゼンの作品を正式に出版させることだって出来たと思う。しかし彼はそうしなかった。ジムロック等の出版社と友達づきあいをしていたブラームスは、出版社側の事情にも精通していたからマルクゼンの作品が出版社のロジックから見ればけして出版されないと判っていたと思う。
だからブラームスは自費出版を選んだのだ。
そのあたりの事情もろもろ全部含めて美しい話だと感じる。
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