真贋論争がある伝ブラームス作曲のイ長調ピアノ三重奏曲について報告する。
11月12日の記事「拍子抜け」でも書いたとおり、やはりというか案の定というか楽譜上に存在するカッコ「( )」は厄介であった。スラーやアクセントに付与されたカッコを除いても22種70箇所で音楽用語がカッコととも用いられている。英語の序文に言及があるのかもしれないが良く分からない。
カッコ付きダイナミクス記号の大半は、クレッシェンドの一里塚用法に特化している。2パートにダイナミクスがある時、残りの1パートに念押しの意味の同じダイナミクスがカッコ付きであてがわれている。校訂者による解釈に近い指示も散見される。このような使用の実態から見て、このカッコはオリジナルには存在していないと解したい。出版に際して校訂者が付与したものと見るのが妥当だと思う。さらに厄介なのはカッコの有無がピアノ譜面と弦楽器のパート譜の間で異なっているケースも散見される。逆にもしも一連のカッコ付き用語が、オリジナルにも同様な形で存在したとすると、私は真作説を支持することは出来ない。
だからこの際「カッコ付き用語はオリジナルには無かった」という前提で特記事項をまとめた。
- ピアノ三重奏曲第1番の初版では全1728小節中、101種類の音楽用語が609箇所に分布している。2.84小節に1回の頻度だ。これに対して、問題のイ長調三重奏曲では、34種が507箇所に分布している。1.84小節に1回だ。音楽用語が出現する頻度は上がっているのに、用語の種類は3分の1しかない。これが今回の分析で判る最大のポイントだろう。思わず辞書を書きたくなるくらい豊かで多彩な用語遣いが特色のブラームスなのに、用語の種類が少な過ぎる。
- ダイナミクスの分布でも気になることがある。「pp」が極端に少ない。ピアノ三重奏曲第1番では初版でも改訂版でも20%少々を占めているが、このイ長調三重奏曲では2.9%に過ぎない。わずか7分の1では誤差として済ますわけには行かない。
- 「pp」だけではなく「ff」も少なめである。減った分は結果として「p」「f」が厚めになっている。それだけならばともかく「mf」が13%も存在するのがやや異例である。ブラームスの一般的なダイナミクスバランスとはこの2点で違いが見られる。
- ピアノ三重奏曲第1番に比べて明らかに使用が薄いのは「dolce」「maracato」「leggiero」だ。「espressivo」の頻度は変わらない。
- 逆に使用が増えている用語もある。「cantabile」「con fuoco」「con affetto」だ。「con fuoco」以外の2つはブラームス作品では珍しい。
- 微調整語「poco」が一切用いられていない。他に「piu」も僅かに2箇所しかない。
- 「ritardando」を筆頭格とするテンポ変換系の用語「sostenuto」「animato」が全く現われない。「a tempo」「in tempo」のテンポリセットも当然無い。
<肝に銘じておくべきこと>
誰が作曲したにせよ、926小節を擁するこの堂々たるソナタが1938年の出版まで一般に知られていなかったことは、確実である。ブラームスの遺作として鳴り物入りで発表されれば、その道の研究者愛好家は鵜の目鷹の目で検証するだろう。それでも誰も過去の誰それの作品だという指摘をしなかったこと、あるいは出来なかったことの意義は大きい。その点は、発見者がぬかりなく精査しているのだろう。
イ長調三重奏曲をブラームス本人が出版しないつもりだったから、楽譜にこまごまとした指定を記入していなかったとも考えられる。元々全ての作品が草稿の段階ではこの程度で、出版前に詳細に書き込んでいたかもしれないからだ。このことは常に念頭に置いて考えねばならない。以下の議論ではこの点は、棚上げする。
<真作説に不利な所見>
時代が下るに従って、大袈裟な表現は影を潜める傾向があるが、配置される用語の種類が減るわけでない。イ長調三重奏曲を論じる際に、その作曲年代を1850年代、つまり創作の初期と仮定することが多いようだが、用語の種類の薄さはこれとは矛盾する。これに気付いていた校訂者が、出版に際して記号を補ったのが、膨大なカッコ付き用語群だと考えたい。FAEソナタのブラダスデータ調査の結果、用語密度はイ長調三重奏曲よりも極端に少ないことが判明した。用語密度の薄さは真作説に不利とはいえなくなったのでここに訂正する。12月17日の記事参照
http://brahmsop123.air-nifty.com/sonata/2006/12/post_0780.html
微調整語「poco」や「piu」の欠落も真作説には不利だ。こうした微調整語を駆使して独特のワールドを形成するのがブラームスだからだ。テンポ変動系用語と、テンポリセット系用語の欠落も、真作説には不利だ。こうしたテンポの煽りと抑制がブラームス節の根幹でもあるからだ。これらの特徴は真作であるならば創作の初期から明らかである。こうした独特の用語は、校訂者が安易に手を加えることを拒む雰囲気を持っている。普通に考えれば悪意ある校訂者ではない限り、加筆も削除もしにくいのが自然である。よってこうした用語の出現頻度と分布は草稿のまま保存されている可能性が高いと思う。
「leggiero」「dolce」「marcato」が少ないのも不利だ。
<真作説に有利な所見>
聴いてみるとところどころブラームスの初期室内楽を髣髴とさせる部分がある。同じイ長調を共有するピアノ四重奏曲第2番とフィナーレの感じが似ている。8分の6拍子のスケルツォがハ短調になっていのは不利な要素だが、代わりに採用された嬰へ短調というのはクララとの関係を考えるとギリギリ許容範囲かもしれない。またその中間部が4分の3拍子に転ずるのは、ヘミオラ好きのブラームスの嗜好をなぞっていると思う。
第一楽章の第2主題部に付点のリズムが出る。これはブラームスにはよくある音形だ。
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結論からいうと「少し怪しい」である。でも「わからない」が正しいと思う。当たり前の話だ。私ごときに判るはずはない。目の前に作品が存在する以上、誰かが作曲したことは確実ながらブラームスの「真作だ」とも証明出来ない代わりに、「真作でない」とも証明出来ない。
これだけの室内楽を作曲した苦労には何かの形で報いてあげたい気分である。
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