Andante religioso
「ゆっくりと敬虔に」と書けばマルがもらえる。「ブラームスの辞書」には載っていない。つまりブラームスは一度も使っていないということだ。そもそも「religioso」が一切現れない。
昨日次女のヴァイオリンの発表会だった。次女が挑んだ「タイスの瞑想曲」の冒頭に本日話題の「Andante religioso」が鎮座している。ここから作品の解説に走る愚は犯すまい。
この度の発表会を以て、4歳から続いたヴァイオリンのレッスンを止める。次女自身が決めて、自分の言葉で先生に伝えていた。だから今回は集大成。やがて来月には部活も引退し受験に備える。先般オケの演奏会に出かけた第一志望に挑むためだ。そこでオーケストラに入り、ヴァイオリンをやるという決意を先生に伝えた。ヴァイオリンを選ぶことについて私は何のアドヴァイスもしなかった。先生も私もトロンボーンを選ぶのかと思っていたから本当に驚いた。
ここ2ヶ月彼女の練習を横で聴いているのは楽しかった。表現の幅が見る見るうちに広がってゆく感じ。課題の設定&トライのルーチンを中学生なりに盛り込んだ練習にほぼ毎日取り組んだ。練習の後に感想を言うのは5日に1度くらい。一度片づけたヴァイオリンをまた取り出して親子で議論したこともある。彼女の演奏にああだこうだ言う資格はもはやない。音楽をネタに娘と会話が出来る喜びだけが目的だった。私の道楽で始めさせたヴァイオリンを心から受け入れてくれたと判る。
そして昨日の本番。10年の歩みと決意をこめたタイスだった。また戻って来るためのタイス。恥ずかしながら今までの発表会は、楽譜通りに間違いなく弾けるかどうかがゴールの判定基準だった。今回は6度目にして初めて、そこをスタートラインにすることが出来た。今までに何度も聴いた名曲だが、これほど心が動いたことは無かった。天にも昇るような5分間に敬礼。
そしてそして敬虔な偶然がふたつ。
昨日は私の伯母の通夜だった。急死だったから驚いた。大忙しの一日になったが予定通り弾かせてやれた。もし告別式と重なっていたらキャンセルだったかもしれない。
それからもう一つ。10年を越えるレッスンの間、ピアノと合同の公式発表会でブラームスを弾いた者は、講師生徒を合わせても一人もいなかった。そんなモノかと諦めていた。ところが次女ラスト発表会の昨日、トリの一人前の女性がブラームスを2曲弾いた。作品118から1番と2番だ。何というタイミング、何という選曲。
次女と歩んだ10年がブラームスから祝福を受けたと考えねば辻褄が合わない。伯母には冥福を、高校オケへのチャレンジにはブラームスとドヴォルザークのご加護を、ただただ祈るばかりの「Andante religioso」だ。
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