ファクターとしての巨大ヴィオラ
私のヴィオラは大学オケ備え付けの楽器から始まった。今となっては詳細は不明だ。2年生になるころに自分の楽器を買い求めた。チェコ製で7万円だったことしか覚えていない。志望大学に現役で合格したら買ってもらうと親に約束していたものだ。1979年か翌年のことだ。1981年に31万円で西ドイツ製を自分でアルバイトしてためたお金で購入。ここまでは40センチ程度の通常サイズだ。
大学4年間はもちろん1992年に今の巨大ヴィオラを買うまで、12年間、標準サイズのヴィオラを弾いていたということに他ならない。
1992年巨大楽器を買った直後に長男が生まれ、子育てが始まった。時間的にも金銭的にも余裕がなくなってゆく。巨大ヴィオラの大きさを克服するほど練習量がとれなくなった。厳密には今でも克服できていないと申していい。
それでも鳴りがはまった時の快感だけをよりどころにヴィオラを触り続けている。巨大ヴィオラは単に胴体の大きさだけの話ではなく、色艶、形を含むたたずまいに深くはまりこんでしまっている。愛器が大きいということが心の支えになっているとでもいうのだろう。
残りの人生でヴィオラを弾き続ける覚悟のうちの半分をこの巨大ヴィオラが占めている。そして残る半分がバッハ。つまりバッハと同格だということだ。
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