昨夜遅く帰国した。
波乱万丈の10日間だった。これを詳しく書いていると「ブラームスの辞書」の主旨をはみだしてしまう。どのように報告するか迷うところである。
←重慶ヒルトンホテルの室内で写した「ブラームスの辞書」
「ブラームスの辞書」は一冊持参した。暇なときに読もうと思ってのことだが、そんな暇はなかった。仲良くなった通訳さんにお礼に一冊差し上げると、ことのほか喜ばれた。特に音楽好きという方ではなかったが、あちらでは本を書くということは凄いことらしい。
初日のホテルは上海中油大酒店だ。一応☆4つだ。夜のロビーでピアノが無人演奏でBGMを奏でていた。耳を凝らすとなんとブラームスではないか!第三交響曲第三楽章だ。
←カタカナで「ブラームス NO3 コウキョウキョク」と読める。
偶然とはいえ、幸先が良い。思わぬところでブラームスが聴けて感動した。10日間のブラームス日照りを覚悟していただけに、やや拍子抜けだった。次のブラームス体験は翌日乗車した夜行寝台列車の中だ。特急寝台車と違って外国人は我々の一行以外には見当たらない。いわゆる庶民の列車だ。延々17時間かけて九江に向かう。何回特急列車に抜かれたことだろう。何回貨物列車に抜かれただろう。寝台とは名ばかりの設備に、見ず知らずの庶民と嫌でも接することになる。
←硬臥車の内部。
そんな寝台車の中で予期せぬことが起きた。夜8時消灯準備の合図に車内に流れた音楽を聴いて唖然とした。「ブラームスの子守唄」ではないか!!!狭くて暗い車内で中国語の洪水を浴びせられていた耳には、聖水のようにも感じられた。外国人向けの特急寝台ではないのだ。既に上海西駅を出て7時間が経過していたものの、終着までは10時間もある。着替えも思うに任せない車内で一晩を過ごさねばならない重苦しさが一瞬和らぎ、力が湧いてきた。
実を言うと10日の間のブラームス体験はこの2回である。街のCDショップには意識的に立ち寄ったが、クラシック音楽自体の品ぞろえが悪く(こういうところは日本と同じ)ブラームスにはお目にかかれなかった。
しかしである。ブラームスはなくてもそれを埋め合わせて余りある旅だった。ブラームスを聴けないこともそうだが、10日間子供に会えないということが、これほどさびしいとは思わなかった。子供たちへの思いを再確認できた。きれいな景色を見れば子供らに見せたいと思い。うまいものを食えば子供らに食べさせたいと思った。特に長男には是非中国を見せたいと感じた。思春期青年期において、「こういう国が隣にあって、日本の10倍以上の人口を抱えている」と体感させることは、何にも変えがたい経験である。
良い通訳にめぐり合えた。2人の女性通訳に世話になったが、彼らは熱心だった。報道されているような日本人への敵意は感じられない。長い間行動をともにしたおかげで、すっかり打ち解けた。重慶から成都まで世話になった肖さんは修士課程の学生。修士論文は「日本語教育への日本文化の反映」という趣旨だという。通訳は文化的背景への知識がないと上達しないので、アルバイトをしているのだそうだ。頭の回転が速くて飲みこみがいい。「靴下を履く」「服を着る」「帽子をかぶる」など服装の着用に関する動詞が、中国では全部一緒なのに日本語で多岐にわたるのはなぜかという質問には驚いた。助詞や敬語にも興味があるという。冷や汗三斗で答えた。枕草子や源氏物語の中国語訳を読んだこともある一方で、李白や杜甫や三国志はあまり知らないという面白い一面もある。このあたりの知識は日本人である私のほうがむしろ深かった。自国の文化は意外に見えないものかもしれない。とゆうことは、つまりブラームスはドイツ人より我々のほうがよく見えている可能性も少なくないだろう。
←肖さん
通訳の一日の日当は300~500元。日本円換算で4500円から7500円だそうだ。旅行会社を経由すると15000円が相場だから、旅行会社のマージンが判る。子供に中国を見せたいのでまた来るというと是非通訳をさせろという。英語が通じにくい場所も多いので、信頼できる通訳は不可欠だ。旅行会社を通さずに直接契約したいというと、即OKだ。こういう話には、国境は無い。旅行会社のマージンを山分けである。
修士論文を書く途中で判らないことがあったら質問したいということでメールアドレスを交換した。中国の友人ゲットである。
もう一人は上海から重慶まで世話になった沈さんだ。この人ご主人は日本人である。今沈さんのご実家の事情で沈さんだけが上海に帰っているが、生活の本拠は日本だ。かつて東京の企業で働いていた経験もある。頭の回転が速いのは肖さんと一緒だが、日本の生活が長いだけあって、通訳にあたっては微妙なニュアンスの表現に味わいがある。はったりも効くし、ユーモアもわかる。
←沈さん
中国の友人2人ゲットが最大の収穫かもしれない。
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